はかりごと/小泉八雲著・山宮允訳

小泉八雲

概要

小泉八雲著の「はかりごと」です。原題は”DIPLOMACY”です。
1904年に出版された小泉八雲著の『怪談』の中に収録されています。
訳によっては「かけひき」という題に訳されています。
この話の原典は、山崎美成の『世事百談』に記された「欺きて冤魂を散ず」とのことです。

本文

はかりごと

小泉 八雲 著
山宮 允 訳
 
 
 お屋敷やしきの庭でお手討てうちがあるとのおふれがありました。今でも日本ふうの庭園にわに見られる、飛石が一列にならんだ広い砂場に、男は引き出されてすわらされました。腕は後でくくってありました。家来たちが手桶ておけで水をはこび、小石をつめた、たわらを持って来て、すわった男のまわりにすえました――それに押しつけられて、男が動かれないようにしたのでした。殿は用意如何いかにと見に出ておいでになりました。満足されてか、何ともいわれない。
 不意に科人とがにんが殿に向って大きな声でいいました――
「殿様、こう命のきまったもとのあやまちは、もともと知っててしたことではございません。ただわたくしのひどい不つつかさのために起ったことでございます。なんの因果いんがか、おろかに生れつき、いつもあやまちをくりかえしております。ですが、おろかだからとて人を殺すのは悪いことです――して、その悪いことにはむくいが来ます。どうしても殿さまがわしをお殺しなさるなら、わしもきっと殿さまに仕返しします。――お招きなさったうらみのむくいがあります。人をのろえば穴二つでございます。」
 どんな者でも、もしうらみをいだいたままで殺されると、その者の魂はあいてにあだを返すことができる。これは侍も知っていました。侍はきわめておだやかに――いたわるような口調で答えました。
「そちの死んだ後――どうなりとわしをおどろかすがよい。だがそちのいうことがほんとうとは信ぜられん。そちの頭が飛んでから――何か大きなうらみをいだいているという証拠しょうこが見せられるか?」
「見せましょうず。」と男は答えました。
「よし。」と、侍は太刀のさやをはらった。
「さあ、頭をはねようぞ。そちのまん前に飛石がある。頭をはねられてから、その飛石にかみついてみい。そちのいかった魂に、そうしたことができるなら、わしらの中におそれるものもあろう。……どうじゃ、石にかみついてみるか?」
「かみつこうず!」いかりにもえて男は大きな声でいいました――「かみつこう!――かみ……」――
 刀光一閃とうこういっせん、太刀風と共に、バサリと音がして、しばられた体はたわらの上にうちふしました――二すじの血潮はきず口からさっとほとばしり出ました――頭は砂の上にころがりました。重くるしげに、頭は飛石の方へころげて行く。と、見るうち、たちまちおどりあがって、歯と歯で石の上の端をかみ、ちょっとの間、必死とくらいついていて、がくりと落ちました。
 一同無言、家来たちはおののきながら殿を見やりました。殿はどこを風が吹くとばかりの風情ふぜい。静かに刀をかたわらの家来に差出すと、家来はひしゃくで水を鍔元つばもとから切先きっさきまでかけて、やわらかな紙でなんどもていねいに刃をぬぐいました。……こうしてかたの如く事件のしまつはついたのでした。
 それから何か月もの間、家来や仲間の者は、幽霊ゆうれいが出はせぬかと、たえずおびえていました。誰ひとり約束された仕返しのあることを疑いませんでした。寝てもさめてもおそろしい思いで、家来や中間ちゅうげんの者は妄想もうそうでいろんなものを見たり聞いたりしました。竹のおののきをもこわがり、――庭の木蔭こかげのゆらぐのさえもおそれるようになりました。とうとう話しあいの上、怨霊おんりょうをしずめるために施餓鬼せがきをしてもらうよう、殿に願い出ることにしました。
「いっさい無用じゃ。」と殿は、おもだった家来のひとりが一同の望みを申し出た時にいわれました。……「復讐ふくしゅうしようとする死人の一念がもとで、人がこわい思いをすることは予もぞんじている。だが、このたびはこわがるにはおよばん。」
 家来は歎願たんがんするような目付で殿を見ました。しかし、なぜこうしたふしぎな自信ありげなことをおおせられるのかをたずねるのをためらいました。
「ああ、そのわけはごく簡単じゃ。」口に出しかねる疑いをさっして、殿はきっぱりといわれるのでした。「ただ断末魔だんまつま意趣いしゅだけがあぶないのじゃ。証拠を見せよといどんだ時、予はあれの心を復讐ふくしゅうの決心からそらしてしまったのだ。あれは飛石にかみつくのをかたい望みにして死んだ。そしてその望みをとげたのだ。が、それきりじゃ。他のことはみな忘れたにちがいない。……よって、何もこの上心配するにはおよばんのじゃ。」
 ――はたして、亡者もうじゃは誰にも危害を加えず、何事も起りませんでした。
 
 
 


底本:「耳なし芳一」小峰書店
   1950(昭和25)年6月20日発行
入力:Yomi
2022年9月20日作成

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