概要
小泉八雲著の『乳母桜』です。原題は”UBAZAKURA”です。
1904年に出版された小泉八雲著の『怪談』の中に収録されています。
愛情を感じる切ない話です。
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本文
乳母桜(うばざくら)
小泉 八雲 著
山宮 允 訳
三百年も前のこと、伊予国は温泉郡の朝美という村に、徳兵衛という気だてのよい人が住んでいました。徳兵衛はその界隈での物持で、村長をつとめ、まず何ごとにも不足のない身でありましたが、四十になっても、父となる喜びを知りませんでした。そこで徳兵衛と徳兵衛の妻は、子供のないことを苦に病んで、朝美村の西方寺という名高い寺に祭ってある不動明王にたびたび祈願をするのでした。
やがて祈願が達して、徳兵衛の妻はひとりの女の子をうみ落しました。その子はいたって器量よしで、つゆという名をつけました。母親の乳がたりなかったので、おそでという女を子供の乳母にやとい入れました。
おつゆは大きくなるにつれて、たいへん美しい娘になりました。ところが十五のとしに病気になり、医者もさじをなげました。その時、おつゆをわが子のようにかわいがっていた乳母のおそでは、西方寺に行って、おじょうさまの病気のなおるようにと、けんめいに不動さまにお祈りをしました。三七日の間、毎日行って祈りました。そして満願の日に、おつゆはにわかに全快しました。
徳兵衛の家では大喜びでした。徳兵衛はこのうれしいできごとに、知り合いをまねいて祝いの宴会を開きました。ところが、そのお祝いの晩に、乳母のおそではにわかに病気になりました。そしてその明くる朝、おそでにつきそわせてあった医者がおそでの臨終を知らせました。
家じゅうの者は、たいへん悲しんで、おそでの床のそばに別れを告げに集りました。その時おそでは、皆の者にむかっていいました―――
「皆さま方のごぞんじないことを申しあげる時がまいりました。わたしの願いはききとどけられました。わたしは不動さまに、おつゆさまのお身代りに死ぬことをお許しくださるようお願いしました。そして今特別のお許しがいただけたのでございます。ですから、皆さま、わたしの死ぬのをおなげきくださいますな。・・・・・・けれど、ただ一つお願いがございます。わたしは不動さまに、お礼と思い出のしるしにさくらの木を西方寺の境内におさめることを約束しました。今わたしは、自分でそこに木をうえることができません。どうかわたしに代って、この約束をはたしてくださいまし。・・・・・・さらば、皆さま、おつゆさまのおために、わたしはよろこんで死んで行ったと思ってくださいまし。」
おそでのとむらいがすんでから、一本のさくらの若木――えり抜きの、とりわけよい若木――が、おつゆの両親の手で西方寺の境内にうえられました。木は根づいてみごとに成長し、翌年の二月十六日――ちょうどおそでの命日――に、ふしぎに花が咲きました。こうして二百五十年の間、その木はひき続き花が咲きました――いつも二月の十六日に――そしてその花は、うすもも色と白の色で、ちょうど乳汁にぬれた女の乳房のような色でした。それで人はその樹を乳母桜と呼びました。
1950(昭和25)年6月20日発行
入力:Yomi
2022年9月12日作成
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